下の動画は、HPや季読み帖の「肩から足首~2016初春」の記事
と、同じ肩の「処」を使った足首への連動を図る愉気を行なっている
様子です。
足首の観察者はまず、足首の可動性を観察しています。
足首の鬱滞点を押さえてから、操者が肩から連動を観つつ
愉気をします。
画像が小さくて見づらい場合はyoutubeにて↑ご覧ください。
この時、動画をよく見ていると
肩からの愉気が通り気の密度が亢まるごとに、気のラインが足首方向に
伸びていき、足首に繋がる感じが何となく「見え」ます。
「見え」ると云うのは、主観的な表現で
人によっては異なる感じ方をしますが、つまりは感覚で
掴めるのです。
またよく観ると肩から手の先の方向へもラインが伸びているのが
感じられます。
しばらくして感応が進むと、ひざ裏と手首付近に
自然集注と呼ばれる自然に感応によって生まれた
集注点がほやほやと温気を上げ始めているのも感じられます。
このような感覚的なものは多少の実践的な経験と修練を
積まなければ得られませんが、「何となく」感じるという
素直で自然な感覚的な集注があれば、誰でも感覚できるものと
言えます。
愉気と云うものの基本は「感応」にあります。
「感応」の前段階である「気応」での同調や共鳴が
気の密度の亢まりに応じて、やがて相手との全体的な
気の感応、饗応状態となるのです。
相手の身体の感じを自分の身体でモニタリングもしますし
体表情にラインを感じ、観てとることも出来るようになるのです。
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